この邦題は間違えている
伊集院さんのお気に入りになったそうです。
AMラジオとFMラジオは相容れないものと思ってきたけど、この映画とピーターバラカンさんを通じてそうではないと感じたそうです。
脱獄の挑戦とDJがラジオ局のルールを破ろうとするところに共通点とシンパシーを感じたそうです。
パーキングメーターの破壊は私ことフレデリカが感じたようなことではなく、社会の特別ルールに対する反逆の象徴。
ここ見てポイント
1.「お前にはコミュニケーションがまったくできていない」×3
舗装工事が早く終えたのはルークが楽しもうとしただけで、みんなのためじゃなかった。
バイトでの年一で大掃除があったが、面倒だったのに誰かが場所取りゲームにしてしまった。
2.一時間で堅ゆで卵を50個食べられるか?のシーン
収容所が中学二年生の修学旅行みたいになっちゃった。
食べきったシーンは神のようなカリスマの誕生のようだった。
3.ポールニューマンの笑顔
笑顔のときの演技と笑顔じゃないときの演技。
ルークは仲間の中で神になって先を行くものになった。(率いていないので先導者とはいえないけど)
ルークこそ神なのだから神に問いかけても答えてもらえない。その象徴としてルークの写真が十字架のように破られ修正される。
阿部哲子’s EYE
阿部さんが写真の十字架に気づかなかったといってくれてほっとしました。私も気づきませんでした。<<映画と関係ないところ>>
大人のイメージのあったピーターバラカンさん。けど、この映画を薦めてくるところ、ラジオ会社の取締役になったのにはまりきれなかったという「熱く面倒な人」となったイメージに伊集院さんの中でなったそうです。