こんにちは。フレデリカです。
その1の方です。
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前記事の中で「参った。一番当たりたくないミニシアター系の良作です。」と大文字赤太字でぼやきましたが、それに真っ向からぶつかってみます。
パンとバスと二度目の初恋 - 感想まとめ
作品情報
パンとバスと二度目の初恋 の3つのポイント
- 洗濯機とコインラインドリーと孤独
- バスの洗車
- 絵を描くこと
全体感想
「パン(ふみ)とバス(たもつ)と二度目の初恋」ってことですが、
主役はふみです。
たもつはサブ主役でさえなく、ふみの心を覗くための媒体です。そういった意味では
たもつはにこと同じ立ち位置。
誰もが持っている一般論の枠を自分の”はみ出た心の部分”。
その”はみ出た心の部分”との付き合い方・向き合い方・受け入れ方が本作のテーマですが、”はみ出た心の部分”が「人付き合い」や「恋愛」の部分だと折り合いの付け方が難しいですね。
”はみ出た心の部分”の一例。
彼は彼女を愛しているからこそちゃんと自分の”はみ出た心の部分”を真摯に告白し、彼女も彼を愛しているからこそ、今後の付き合いをどうしていいのかを悩みます。
ふみの考え方
ふみの考え方を二つの場面を使って表現してくれたので、多角性が出て立体的に私の中に入ってきました。
プロポーズ
あんな小ジャレたバーでのプロポーズ。そこで言ってしまったこの映画の問題定義。
”永遠の愛は存在するのか”、、、ではないか、”ずっと一人を愛するという自信はどこから来るのか”ですね。
誰かの旦那さんが好き
本作唯一のアクションシーン、フランスパンは凶器になる(笑)
ふみは彼女たちの”強すぎる気持ち”があることに感心します。ふみにはそれがないんだよね。少なくとも、ないと思ってる。
緑内障
ふみの症状だと、右目の上側に視力がかけるところがある。しかし、ちゃんと目薬を差して付き合っていけば大丈夫。
ここで一つ本作をややこしくしているのは、ふみは自分の”はみ出た心の部分”や”強すぎる気持ちがないこと”に劣等感や不安がないことです。緑内障と同じように受け入れてます。自分に自信があるように描かれてませんが、この映画の主題については「そういったもんかね」ぐらいにしか感じてません。
自分の心と向き合うふみ
パーツごとにすると、そのパーツそのものは受け取るのは難しくないんですけどね、、、、。全体の流れの中での意味を考え始めると突然ややこしくなる。
洗濯機とコインラインドリーと孤独
ばーちゃんの誕生日を祝っているときに壊れた洗濯機が、こんなに深い意味を持つとは思わなかったよ(笑)
ふみは言い切ります。「洗濯機が家にあっても、このコインランドリーに来る」。実際に足を運ぶかはわかりませんが、「一人になりたい人」「さみしくありたい人」ってことです。
ちょっとだけ私の話
このフミの考え方は私の理想だったりします。
一人もんで人と接触するのが苦手で、自分を「非リア」と言って笑うことで誤魔化している。10人以上の団体が苦手で、部内の飲み会さえも中座して終わる直前に居酒屋に返ってくる。(飲み会そのものを断る勇気もない)。
これらを肯定的に言おうとすると「一人になりたい人」「さみしくありたい人」になるんだけど、
私のはコミュ障のいいわけであって、フミのそれとは違うんだろうなぁ。
バスの洗車
ずっと外から眺めていたバスの洗車を、中から見ることになりました。それは車内で何かの深堀をするという象徴としてすごくわかりやすくてありがたかったです。
内容は、ふみの”はみ出た心の部分”に対するたもつなりの答え「そんなこと考える間もなく好きだから」。たもつの一般論の枠の中にある答えに、ふみの”はみ出た心の部分”が際立つことになりました。
ここで私が少し勝手にミスリードされかかりました。この映画のテーマが「成長できてない自分に焦る」かと勘違いしかけました。
永遠の愛を求めてるけど理解できないふみ、現実の愛を見つけて歩き出しているさとみ、自分の中に永遠の愛を知り前妻を求めるたもつ。なんとなく、ふみだけが高校生のまま次のステップに進めてないような気がしません?それを一言で「なんか、すっごいむかつく」で表しているのかなと。テーマは「青春時代から大人へ」と勘違いしかけました。
けど、それじゃないですね。だってふみは自分の”はみ出た心の部分”や”強すぎる気持ちがないこと”に劣等感や不安がないもん(二度目)。
あ、職場でもらったパンをいつもパンの洗車を見ながら食べていたことは無理があるようなないような、、、でも無理がないような感じがしました。
「帰り道にパンを食べながら歩いてたら、バスの洗車をやっていて、立ち止まって見ながら食べるのが日課になってしまった」んじゃないかな。繰り返す日常の中で、無意味な習慣になってしまったことなんていくらでもあるので、それの一部かなと。
絵を描くこと
一つにまとめましたが、さらにいくつかの側面がありますね。
、、、と思ったんだけど、ごめん、まとまらなかった!かなりグダグダです。
ふみの絵に対する自論
にこに質問されました。「絵はいつ完成なのか。あの時が完成だったと思った時はどうするのか」
ふみは答えます。「踏ん切りをつけること。これ以上やっても、あの時を超えることはできないんだから、適当にやめること」
本人が抱えている(抱えていると思っていないけど)問題との向き合い方の答えだと思うんだけどなぁ。ずっと愛せるか愛されるかを考えるんじゃなくて、考えるのをやめて愛してみればいい。
映画の結末とうまく引っかかってないんだよなぁ。
ふみが絵をやめた理由
楽しくなくなった、私だけの絵が描けなかった。
おなじことでも色々な言い方があります。いくつもの成分があったり表現の仕方が違ったりするだけでどれも本当の理由でしょう。
、、、それが本作のテーマと同関連するかまでは、私では辿り着かず。
にこが絵を続ける理由 / お姉ちゃんを真っ黒に塗る
二つ取り出してみたんだけどね、、、、、。
にこに焦点が当たっている映画じゃないから分からなかったよ、、、、。告知動画では、「ふみを知りたいにこ」と紹介されてます。
フミを中心にした本作のテーマの深堀には、にこはすごく重要な登場人物ですが、彼女自身には焦点が当たってないように感じてます。
、、、、ごめん、にこの中で何が起こってたのかはちょっとわかんなかった。
それは二度目の初恋。
”強すぎる気持ち”の永遠に愛するということは「片思いだから」。両想いになるほど踏み込めてないから、嫌な面を見ることなく、永遠に愛することができる。初恋は実らないから美しく輝く。ふみのたくみへの今の気持ちも届くことはない。それは二度目の初恋。
パンとバスと二度目の初恋のクライマックスで1:1になる3人。
ちょっと唐突なたもつのお泊り
ふみ&にこ
姉妹の話。というよりも女同士の話。
昔、女好きの友人とシェアして住もうかという話が上がったことがあります。もし私が仕事から戻ってくる前に、女を連れ込んだら玄関に2千円張っといてくれれば、満喫にいってやるよ!とか話してたなぁと思い出しました。
にこ&たもつ
にこは自分で書いた絵をフミが書いたと言いました。たもつの感想は、「青がいい」「ゴツゴツしているところが好き」
青がいい、が、夜明け前の青につながると思うんだけど、、、、。うーん、、、絵の件が入るとどうしても文章にできなくなっちゃうなぁ。絵の件は大事なキーになのはわかっているんだけど。
ふみ&たもつ
明日のことを約束して寝ました。
夜明け前の青。緑内障は治らない
彼者誰や薄明やブルーモーメントとかいろいろな言葉があるようですが、wikipediaで拾った知識をひけらかすのはこのへんにして。
三人で見に行くかなと思ったけど、二人で見に行った夜明け前の青。二人は互いの大事なものを共有しました。けど、それは一緒にいるってことと同意ではありませんでした。
緑内障は良くも悪くもならず、今日もふみは目薬を差します。今回のことで”はみ出た心の部分”に理屈ができましたが、これまで通り”はみ出た心の部分”と付き合っていくようです。
ミニシアター系良作と私のブログ
前記事の中で「参った。一番当たりたくないミニシアター系の良作です。」と大文字赤太字でぼやいたからにはその理由を。
映画鑑賞ってのは感じることが第一義です。文章化なんて制作側は望んでいないでしょう。こうして、一つの映画を2記事に分けるようにしたのに、この記事だけで4000文字も書いているような私は頭がおかしい。
ミニシアターの良作はこの映画のようにテーマが絶妙なんです。
だれもが、あるある!って思うけど、その現象には名前がついていないような言葉の文化が拾い上げられず落っこちたような部分。大きく掬いあげて”機微”としか言いようがない部分。
映画を見た人の心に沁みこむけど、言葉にしようとすると真芯をとらえきれずに言葉を重ねるほどぼやけてしまう。
私は「言葉にすると無粋」という言い方で逃げることはできないので、頑張ります。ただし、とんでもなく時間がかかる!!
時間がかかってるのに映画の言いたいことはおろか自分の言いたいことさえ、ちゃんと伝えきれるかわからない恐怖(笑)
胸に入ってきて良作って心が分かっているんだから「俺にゃわからなかったよ」でぶん投げるのがどうしてもいやだ!
そうなると完全に一日作業になっちゃうんですよ。
パンとバスと二度目の初恋 のベストシーン
パンを食べながらバスの洗車を見ているシーンとバスの洗車を中から見るシーン
その対比がよかったんだよねー。
問題(ふみ自身は問題だと思ってないんだけど)を外から見て静観してたけど、せっかく機会ができたなら内側という別角度から見て解決できるものなら解決してみたい。
の象徴に見えたんですよ。
この「機会ができたなら。。。。。。解決できるものなら。。。。」ぐらいの温度の意識に妙に現実味を感じました。