清水愛さん、川上奈々美さん、紫雷美央さん出演。あまり存じ上げなくて申し訳ないんですが、ファンのかたがたが持っているイメージが崩れないような役どころでした。
コラソン節爆発でした。
しっかりした伝えたいテーマがあって、笑いがあって、パンチのきいた風刺があって。
泣いた赤鬼が話のベースなんですが私が覚えているストーリーと違ってました。
出だしは
「その風体から人間に恐れられている赤鬼。けど本当は心優しい赤鬼はみんなと仲良くなりたかった。」
ってことだと思ってたんですが、そんな描写はないようです。あくまで赤鬼が人間の輪に入りたかったという話のようです。
....と、下書きにはこの後も泣いた赤鬼のことを書きましたが、舞台と関係ないのでこの辺で。
ごめんなさい。舞台についてはここまでです。書いているうちに取り上げられていたテーマと普遍的な結論に納得がいかないとつらつらとかいてます。
このテーマの創作物を見たとき、私は腑に落ちたことがありません。
仲間に入るときに正道だろうとからめ手だろうと最終的には人間力だよってことですが、
ほとんどの場合、人間力=コミュ力です。今回もそうです。ではコミュ力がない人がどうすればいいのか。面白い話ができない人はそれだけで人格を否定されてしまうのか、伝えたい内容がすばらしいが誰かと話すときに慌ててしまってうまく伝えられない人の言葉は聞く必要はないのか。
こういう創作物はコミュ力なければ人に非ずってことになります。コミュ力のないお前が悪いってことになります。でもコミュ力ってのは人の魅力のすべてじゃないはず。
脚本書いて創作物を作るような人はデフォルトで備わっていると思います。だからその人が考えているコミュ力の最低限ラインが高い。特にコラソンはリア充集団っぽいし。
昔、2chまとめブログで見た記事。(心に刺さったのでよく覚えていますが、見つかりませんでした)
「俺には存在感がないようだ。大学でゼミの仲間と歩いているときに、"食堂に行こう"といっても誰も返事をしてくれない。その後、リーダーっぽい人が"食堂に行こう"といえば、みんながついていく。俺もそれについていく。みんなが俺をいじめるようなやつじゃないのはわかっている。ただ、俺の言葉がみんなの心に響かないのだ。耳を素通りしてしまうのだ。
とつぜん俺がゼミに行かなくなったら、みんなは気づいてくれるかもしれない。でもアパートに様子を見に来るようなことはおろかメールすらしないだろう。メアド交換したときに俺がいたのに、みんなが自分の携帯のアドレス帳に俺のメアドが入っていることを覚えているかも怪しい。
リーダーになりたいわけじゃない。けど、人並みの存在感がほしい」
彼はコミュ力は低いが、悪い人間じゃないし、彼なりに努力もしていよう。彼が人の中で生きていくにはどうすればいい。私はどうすればいい。